【アウティング】するべきではないこと。

どうもアラサー男子オスギです。
久しぶりの投稿となってしまいました。
なかなか書きたいなと思うことに出会わず、グダグダとしていたら2週間近く経ってしまいましたね、、、
書きたいと思う内容について出会い、自分の頭の中でも整理がついたので書こうと思います。

 

今回は「アウティング」についてです。
個人的な意見になってしまいますが、「悪意がない善意のアウティングでもすべきではないこと」ということについて書きたいと思います。

 

 

「アウティング」とは

 

「アウティング」、聞いたことのある言葉でしょうか?
2016年に一橋大学にて起こった「一橋大学アウティング事件」で聞いた人も多いかもしれません。

 

「アウティング」とは性的少数者(セクシャルマイノリティー)の人の公にしていない性的指向や性自認を、本人に了解を得ずに他人が公にすることです。
つまり、ゲイの人がいて、その人がゲイであるということを本人の了承を得ずに他の人に話してしまう事。
トランスジェンダーの人がいて、その人がトランスジェンダーであるということを、勝手に自分の判断で他人に打ち明けてしまう事。
などが該当します。

 

 

「アウティング」がなぜすべきではない事なのか

 

ここではなぜ「アウティング」をすべきでないのかについて書いていこうと思います。
直感的にわかる方もいらっしゃると思いますが、性的少数者にとって自らの性的指向や性自認については、デリケートなことです。
異性愛者でない、心と体の性別が一致していないということがわかった時点で、軽蔑されたり、いじめられたりというケースがあります。
逆に、受け入れられるケースもあります。

 

どちらのケースも考えられますが、前者のケースに当てはまったしまった場合、当事者にとっては自分の居場所がなくなってしまいます。
もちろん、軽蔑したり、いじめたりする人が悪いです。
しかし、悪意がなく良かれと思ってアウティングを行ったとしても、そのような状況を作り出してしまう行為に加担してしまうと考えると、アウティングは、すべきではない事と思います。

 

性的指向や性自認について他人に伝えるのかどうかを判断して、実行するのは、今の世の中では、まだまだ当事者が行なっていくべきだと考えています。

 

 

公にしている人に対しても他人が公表すべきではない

 

ここから書くことは完全に私の主観になります。
「アウティング」については公にしていない性的指向や性自認を本人に了解を得ずに公にすることでした。
つまり、性的指向や性自認を公にしている人のことについては特に言及されていません。
だからと言って、むやみやたらと他人が誰に対しても、公にしている人の性的指向や性自認を公にしていくべきではないと考えています。

 

 

なぜそのような理由に至ったのかというと、
例えば、自分の性的指向や性自認について公にしている人(以下Aさん)と、その事実を知っている人(以下Bさん)、そしてBさんの友人(以下Cさん)がいます。
そのBさんがCさんに対して、「Aさんってゲイなんだって、知ってた?」と言ったとします。
Bさんとしては、Aさんが公にしているから、言ってしまっても構わないだろうと思っている為、何気なく言いました。

 

ここで、考えて欲しいのがCさんの気持ちです。
CさんはBさんに対して、「Bさんって、他人の性的指向を言ってしまう人なんだ」と思ってしまう可能性があります。
そこで、もしCさんが性的少数者であると、「Bさんは人の性的指向のことを勝手に言いふらしてしまう」と考えて、カミングアウトしづらくなってしまいます。

Aさんが公にしているからという理由で、Bさんは悪気もなくCさんに伝えたのかもしれませんが、Cさんにとっては、Bさんに自分の性的指向や性自認の話ができないなと思ってしまします。

 

これはCさんがAさんは公にしているとわかっていても、本人に黙って勝手に伝えてしまっていると思い、上記と同じ結果になってしまいます。

 

 

つまり、人の性的指向や性自認について他人に話してしまうということは、周りに性的少数者がいた時に、その人のカミングアウトを阻害してしまう要因になってしまうからです。

 

なので、「アウティング」はすべきではないという考え方に達したということです。

 

ではでは、明日からもまた更新していきますので、よろしくお願いいたします。

 

オスギ

 

 

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