【性差と多様性】男だから、女だからという思い込み。そして多様性と思考停止について。

どうもアラサー男子オスギです。
朝ごはんを作って、食べているときに何気無くテレビを見ていて思ったことを書こうかと思います。

 

その見ていたテレビ番組の内容は売れない男芸人が付き合っている女性に結婚のプロポーズをするというドッキリ企画でした。
女性の方が稼ぎが多く、デートの支払いは女性が主に払っていたそうです。
そこでこの売れない男芸人が抱いていた気持ちが「男だから一家の大黒柱にならなければいけない。だから稼ぎが少なくて申し訳なく、なかなか結婚のプロポーズができない」というものでした。

 

 

これを見た時に、「あぁ、男だから、女だからという考えで、社会的役割を押し付けられている世の中なんだな」と思ってしまったので、そのことについて書こうと思います。

 

 

社会からの見えない圧力

 

上で書いた売れないお笑い芸人さんをAさん、付き合っている女性をBさんとしましょう。

 

話を見ていると、Aさんが自分の稼ぎはBさんよりも少なく、一家の大黒柱になれなさそうだから、そこに悩んでいるということでした。
だから、結婚のプロポーズに踏み込めない。
「自分がこの人を養いたい」という強い気持ちがあるということだと思います。
ただ、そこに「男だから」という一文があることで、それって社会からの見えない性別に対する圧力によって産まれた理由なのかなと思ってしまいました。

 

「男だから」という想いで「この人を養わなければいけない」と思うことって、本心なのかな?と思ってしまいます。
AさんがBさんを養えなくて、悔しい・不甲斐ないと思う気持ちが、なぜ産まれたのかというところが「男だから」というものだったら、思考停止しているもののように感じました。
これが、Aさんとして、Aさんが性別なんて関係なく、「自分がこの人を養いたいと思っている、だけれども稼ぎが少なくて養えない。不甲斐ない・悔しい・申し訳ない」であれば、自分はスッと腹落ちしたなと思ったのです。

 

 

知らないうちに影響されていること

 

性差について、当たり前に、あたかも人類の総意のように、前提として話されていることがあると思います。
今回のことでいうと、
男が一家を養うためにお金を稼いでくる。
女は家を守り子育てをする。

 

これって、別に男だからとか女だからっていう性別だけで理由付けしなくていいのではと思います。

 

結果として、その1つ1つの家庭を見た時に男性の方が稼ぎが多かったから、男性が稼いでいる。
その家庭では男性よりも女性の方が家事や育児が得意だったから、女性が主に家事や育児をやっている。
それで良いと個人的には思います。

 

男だから稼ぐ、女だから家事・育児をやるっていう考え方って思考停止だと思ってしまいます。
それぞれの能力を見たら、そっちの方が得意で適していたから、そっちの方がやりたかったから、という方が自然だと私は思っています。
その結果として、男性が稼いだ、女性が家事・育児をやったという方が自然だと思います。
そこに「男だから」「女だから」なんて必要ないのではと思っています。

 

ただ、こういう思考停止になってしまうのは、知らないうちに男性は〇〇、女性は〇〇というイメージを植え付けられてしまっているからなんだと思います。
そして、それが絶対的に真であると、なんとなく思い込んでしまい、みんなもそう思っているから、わざわざ考え直す必要すらないと思い、それに従ってしまう。

 

これは性差だけに限らずいろんなことに言い換えられると思います。

 

 

多様性、多様性と叫ばれているが

 

さて、今、会社や組織で多様性を受け入れましょうと声高く言われていると思います。
これにはしっかりと学術的に、多様性の高い組織の方がパフォーマンスが高くなるというデータがあります。

 

個人的には多様性を受け入れることには賛成です。

 

ただ、世の中を見ていると何と無く「多様性を受け入れましょう」とみんなが言っているから、とりあえず受け入れよう。という風潮に見えてしまいます。
多様性を受け入れた方が良くなる場合もありますし、逆に悪くなる場合もある。
多様性があるべき組織と、ない方が良い組織も同時に存在するのです。

 

そこを事前に予測し考えて、「多様性を受け入れる」と決めた結論なら良いと思うのですが、ただ単に世間がそう言っているから、みんながやっているからという理由付けだと、思考停止だなと思います。
(そもそも「多様性を受け入れる」という言葉自体、今まで自分と同質性の高い人間以外排除してきましたと聞こえてしまって、嫌ですが、、、)

 

 

人それぞれ考え方も違って、置かれている環境も違う。
つまり、人それぞれに、適した行動や言動、考え方があるわけです。
それを社会から影響された見えない圧力や、みんながそう言っているからという理由で、安易に決めてしまうと、それは必ずしもその事象について最適なことではないということです。

 

もちろん、事前に考えたところでやってみないとわからないこともありますが、ただただ何も考えずに周りに流されてしまうのは如何なものかと思ったわけです。

 

 

ではでは

 

オスギ

2 件のコメント

    • 考えなくてもいいこともあるだろうけれども、考えるべきこともあるんだよなぁ、と自分は思っています

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