【多様性と受容】手段が目的になり変わらない為に

どうもアラサー男子オスギです。
三連休が終わり、今日からまた仕事です。
とはいえ、四日間働いたらまた三連休。

 

今回は「多様性と受容」について自分の思っていることを書こうかと思います。
会社という組織においての「多様性と受容」について。

 

よく横文字で「ダイバーシティ アンド インクルージョン(Diversity & Inclusion)」(多様性と受容)と聞くと思います。
多様性を認めて受容していきましょうということですが、その本質を理解してそれに取り組んでいるのか、それともただ単に「多様性と受容」が目的となってしまっていないかということに、些か疑問があったので、書いていこうと思います。

 

 

多様性と受容がなぜ注目されているのか

 

昨今、この「多様性と受容」が注目されている理由ですが、1つは「働き方改革」にあります。
簡単に話をすると
日本の人口はこのままでは減っていってしまう。
つまり労働人口が減っていってしまう。
このまま何もしないとGDPは下がってしまい、経済成長ができなくなってしまう。
日本の経済を維持・成長させて行く為に、今まで働いていなかった人たちに働いてもらおう。

 

だいぶ簡単にまとめましたが、上記の理由から、様々な働き方や、働き手を認めて受容していきましょうという動きです。
これは政府としての考え方です。

 

 

そして、企業側の視点から見ると働き手の確保という目的ももちろんありますが、多様性を高めることによる意思決定の質が上がるという目的もあります。
これは心理学の研究や組織論の研究でも示されていることですが、知的水準の高い人たちが集まっても、その人たちの同質性が高ければ高いほど、知的生産の質は低くなってしまうと科学的に結論づけられています。

 

つまり、「多様性と受容」を推し進める理由としては、日本経済の維持や成長・企業の成長が目的であり、「多様性と受容」がその為の手段となるわけです。

 

 

「多様性と受容」が目的へとすり替わっている雰囲気

 

上記で書いたように、日本経済の維持・成長、企業の成長という目的の元、「多様性と需要」を推し進めるのであれば、理解はできるのですが、ここまでの目的をしっかりと伝えて推し進めているのかが、少し疑問に感じています。

 

株主総会で株主から
「なぜ、女性の役員がここには一人もいないのですか?」
「女性管理職の割合がなぜ少ないのですか?」
という質問があると聞いたときに、ふと思ったことがあります。

 

建前上の理由として企業の成長を目的とした「多様性と需要」を謳い、そして世間体をよくする為にただただ「多様な人材」を確保していく。
もちろん、「卵が先か鶏が先か」の話のように「多様な人材」を確保したことで、「知的生産性」が上がり成長するかもしれません。
ただ、その為には今まで同質性の高い組織文化・習慣を一度壊し、混乱の中で再構築して、固め直す作業が必要なわけです。

 

この株主総会での株主からの質問にスマートに回答する為、世間にアピールする数字の為だけに、この「多様性と需要」を推進しているのであれば、現場レベルでは不協和音しか起こらないだろうと感じてしまいました。
この意見の不一致、新たな視点の投入によって起こる不協和音を取りまとめて、質の高い知的生産というアウトプットを産み出して行くのは難しく、不可能に近いだろうと思ってしまいます。

 

この「多様性と需要」をなぜ自分の企業(組織)にとって必要なのかの考察を今一度した方がいいところもあると思っています。
もちろんそれぞれの企業によって状況も違うので一概に必要だとは思っていないからです。
そして必要なのであれば、その本質を噛み砕いて説明して社員に浸透させていく必要性があると思っています。

 

この「多様性と需要」という考え方は自分にとって大きな意味を持つものでもあるので、手段であるのに目的になってしまうことは避けたいと思い、書きましまた。

 

ではでは

 

オスギ

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