【アドラー心理学 人の期待に沿って生きていかない】褒めるのも叱るのもしない

どうもアラサー男子オスギです。
今日もアドラー心理学の話をしようと思います。
前回の記事もそうでしたが、アドラー心理学の本を読んでいると、目から鱗なことが書いてあります。
自分にとって様々な気づきが生まれ、良いなと思うので、せっかくなのでブログを読んでくださる人にシェアしようと思って書いています。

 

今日は「人の期待に沿って生きていると、本当の幸福は手に入れられない」という事について話そうと思います。

 

 

人の期待に沿って生きるとは

 

アドラー心理学では人の期待に沿って行動をして、他人から承認を求めることを否定しています。
具体的に人の期待に沿って生きる・行動するとは、どういうことかというと、

 

親に褒められたいから礼儀正しくする。
先生に叱られないために、授業中は静かにする。
上司から良い評価を得るために、自分の成績をアピールする。

 

これら全ては他人の期待に沿って生きる・行動することになります。
これらの行動をすることで「他人から認められる。」という承認欲求を満たす行為です。

 

これらの行為をアドラー心理学では否定しており、このような行動を取ることでは幸せになれないと言っています。

 

 

他人の期待に沿って生きているとなぜ幸せになれないのか

 

上記を読んでいて不思議に思うかもしれません。
幼少期に、これはやったほうが良い事、これはやってはいけない事と学ぶ際、親や教師から褒められたり・叱られたりする事で物事の分別を学んできたと思います。
今まで自分が受けてきた教育方法では幸せになれないのか、と感じたかもしれません。

 

なので、もう少し深く説明しようと思います。

 

今まで親や教師からやった方が良いことをしたら褒められ、これはやった方が良い事だと学びました。
逆に親や教師からやってはいけない事をしたら叱られ、これはやってはいけないことだと学びました。

 

これらを少し状況を変えて考えてみると、
親や教師から褒められなければ、やった方が良いことをやらなくなる。
そして、褒められるために、それらをやる。
親や教師から叱られなければ、やってはいけないことをやり続ける。
そして、叱られるから、それらをやめる。

 

本質を考えると、この思考の順番で行動を起こすのかどうかはおかしいことに気づくと思います。

 

つまり、親に褒められるから勉強をする。
教師に叱られるから、クラスメートに意地悪するのをやめる。

 

おかしいですよね。

 

ただ、このような考えになってしまうのは、賞罰教育がもたらす弊害です。
そして、自分ではない他人の期待に沿って生きていることになります。
褒められたいからやる、叱られたくないからやらない。
これらは昨日書いた「課題の分離」が上手にできていないことに繋がります。
参考記事:【アドラー心理学 課題の分離】対人関係の悩みを解消する1つの足がかり

 

 

なので、アドラー心理学では、賞罰教育によってもたらされる人の期待に沿って生きて、他人から承認を求めることを否定しています。

 

 

それではどうすれば良いのか?

 

賞罰教育をアドラー心理学では否定されているため、どのようにすれば良いのかという疑問が生まれると思います。
ここで考える概念が「課題の分離」です。
簡単に説明すると、その行動をしたときに最終的に誰がその責任を取るのか?というところです。

 

つまり勉強をして親から褒められようが、クラスメートに意地悪をして教師から叱られようが、この行動をした人が最終的な責任を取ることになります。
勉強をしなかったことによって、知識が身につかないのは自分の責任・自分の課題です。
褒めても褒めなくても、最終的には親の責任にはなりません。
クラスメートに意地悪して、そのクラスメートから関係を断ち切られても、教師の責任ではありません。
自分の責任・自分の課題です。

 

なのでアドラー心理学では、その行動をすることによって誰が最終的な責任を取るのかを教える必要があると考えています。
褒めたり、叱ったりして、他人の行動を操作する・他人の課題に介入することをしないようにすることが説かれています。
そして、最終的な責任を誰が取るのかを教えると同時に、他者に対して尊敬するということを教えます。

そこから先は、教えた相手がどのような行動を取るのか、自分はコントロールできない部分になりますので、介入しません。

 

こうすることで他人の期待に沿って生きるのではなく、自分で考え行動し、そして自分の行動に責任を持って生きていくことができるようになるということです。
そうやって、他人の期待に沿って生きていかず、承認を求めることをしないことで、自分の課題にのみ注目して生けるということです。
そうすることが、幸福につながると説かれています。

 

実践するのはかなり難しいことではありますが、理屈は理解していただけたかとは思います。
褒める・叱るの賞罰教育を否定するアドラー心理学の考え方「人の期待に沿って生きない」ということを皆さんの記憶の隅っこにでも残ればと思い書きました。

 

ではでは

 

オスギ

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